7つの習慣に対して初めに抱いた嫌悪感の正体

子どもたちを一斉に管理するんじゃなくて、
子どもたちが自由に思いのままに過ごすことで、
その子の満足する生き方ができる。

そして、
その生き方は、おそらく、
それほど世の中で悪いと思われる方向にはいかないんじゃないかと思う。

人には本当に自分が喜ぶことを追い求めていく根底に、
善なるものがあると思っています。
(根拠はないですが)

この考えが根底になって、
私は自由と自治の仕組みでなりたつ学校を10年前に開いてそこで働いています。

これをやっているうちに、
いつのまにか、
「管理」「良心」「犠牲」「誠実」・・・などの、
美しそうな言葉に、
それで押し付けてきた管理教育に反発する気持ちがくっついてしまい、

その美しそうな言葉すら、反発の想いを反応的に感じるようになっていたところがあります。

そんな中で、
私は「7つの習慣」に出会ってしまった。

この本に出てくる、
言葉の数々にひっかかる…

自分がずっとかかげてきた信念の「自由」とか「思いのまま」とかいう、
ニュアンスの考えと、

まったく反するのか・・・???

でも、
「子どもを信頼する自由な教育」も「7つの習慣」も、
私にとってはどちらも大切で、どちらかを間違っているとはできない…。

これにしばらく苦しみました。

私の中では、「2極対立」(どちらかが正しい)が考え方の根底にあったように思います。

苦しんだのは、
どちらかを○としたら、もう一つを×にしないといけないと思ってたからなんだ。

「どちらも共存できるのかもしれない。」

と、思えるようになったのはそれからしばらくしてからのことでした。

今、たどりついているのは、

自分の本当にありたい生き方を見つめていったら、
そこには必ず良心というものがある。
その良心を軸にした自分のありたい姿を明確にして、
原則を中心に生きていく生き方。

自由に生きるのは、
その生き方を自由に選択しているということ。

誰かに押し付けられたわけでなく、
世間の風潮に流されたわけではなく、

主体的に自分の人生を考えて生きる。

そこに、自由という言葉が使われている。

そう思ったんです。

7つの習慣とシードームのあり方はバッチリつながります。

だから、
私は7つの習慣を実践する生き方をしながら、
今のスクールでのスタッフをしていこうと思います。

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