古宮昇先生による傾聴実習に行ってきました。
話しを聞くということ、
簡単そうでとっても難しいこと。
お金もいらないし、道具もいらない、
これといった技術も特別に習ったり資格はないから、
だれでもできることではある…
でも、
自分が整っていないとできないなぁと、
相手に対して愛と関心をもっていないとできないなぁと思うのです。
お金、道具、講座の修了の証さえあればできるのなら、
そっちのほうが簡単かもね。
そんなに難しいけれど、
みんなが必要としている、それが「傾聴」です。
みんな、
自分に関心をもってほしいし、
自分のことを知ってほしいし、
伝えたい、分かってほしいって思っています。
ニーズはめっちゃんこあるのにね、できる人が少ないのです。
今日学んだことは、
とりいって傾聴にすぐれているかどうかというよりも、
傾聴しようとする気持ち、つまり、相手に心をひらいて関心をもつ気持ちが大事ということ。
自分の生い立ちで「これが無ければよかった」という経験は無いということ。
育つ過程でいくらひどい経験があったとしても、
その経験から目を背けたり、話をすりかえたりして向き合わないのではなく、
しっかりとむきあって、その経験が自分に与えた本質を見つめることで、
その経験に対して感謝と愛をもって向き合えるようになるということ。
(こちらは、かつてカウンセリングを受けた方が、しっかりその気持ちと向き合って、自ら見出した気づきだったそうで、
話し手の心の中にはすでに答えがあり、聞いてもらうことで解決することが実際にあるのだな~と思いました)
聞き手が「聴きたい」「知りたい」「わかりたい」という思いで向き合うと、
一気に話し手と聞き手の心理的距離が短くなり、
逆に聞き手が「自分の正しさを主張したい」という思いで向き合うと、
話し手との距離は遠ざかりシャッターが閉まるということ。
他にも感じたことはたくさんありましたが、
古宮先生の人柄がもうすでに大変あたたかく、心遣いがある方で、
こうした人柄と「話を聴ける人」というのが結びついていることを体現しているような方でした。
7つの習慣では第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」の部分です。
テクニカルなところが重要でもありますが、
その技術で聴くことが「傾聴」の本質ではないというところは、
7つの習慣と古宮先生の「傾聴」とが同じことを言っているのだと思います。
もっともっと話しを聴く力をつけていきたいと思います。