「7つの習慣」とサドベリースクール。
どちらも大事で同じことを言っていると私は思っています。
「7つの習慣」での第1の習慣が「主体的に生きる」。
主体的に生きている人がどれだけいるんだろう?
しんどい時があると、
ついつい、誰かや何かのせいにしたくなるけど、
誰かや何かのせいにはしない。
だって、
自分で決めたことだもの。
自分が引き起こしたことだもの。
これを大事にしているのは、私たちのスクールも同じだと思っています。
でも、
「7つの習慣」は自立の先を目指しています。
自立の先の相互依存を目指すという見方が私は素敵だと思っています。
サドベリースクールでの、
話し合いによる学校運営=自治でも、
相互依存を味わうことはあります。
でも「7つの習慣」では、より意図して安定した相互依存を目指していきます。
大きく違うように見えるのが、
7つの習慣は原則を中心としているという点です。
スクールでは自由を主軸に置いていて、
子どもたち自身の感じるまま、気の向くままを大切にしていますが、
7つの習慣は、
原則中心に人格を育てようとします。
自分中心では良くないともはっきり語っています。
そこをどう解釈するのか…。そこが肝のようにも思えます。
スクールで自由に過ごす子たちは、
最初はその場の快楽や心地よさ、好き、なんとなく、で選択をしていきます。
一見、わがままに見えるような選択もたくさんあります。
それでも自分で選ぶので、その結果も自分で請け負っていきます。
中には、嬉しいこと、心地よいことだけではないかもしれません。
そうしているうちに、
原則を感覚的に身につけていくのではないかと思うのです。
何を基準にえらんだらいいのか、
長期的に望む結果を得続けるにはどの選択がいいのか、
それを自然に分かっていくのかなと思っています。
長い目で見た、自分の望むあり方を基準にするようになり、
主体的に、自分の生きる道を歩いていくのだろうと思っています。
我慢させられるとか、
納得できないことをとにかくさせられる、という状況がないだけに、
屈折した考え方になりにくいのが、自由な教育です。
やはり私たちは、
根っからのひねくれものはいないのだと思っています。
本当は、心がまっすぐでとてもきれいな存在だと思っています。
心のまっすぐで、きれいな存在が、
十分に自分を満たしきったら、
自然に自分も周りも大切にする選択をするようになると思います。
だから私は、
「サドベリースクールでの教育」と、「7つの習慣」とは共通するものがあると考えています。